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悪い夢のようだったふた月も今日で終わり。1日多いが。

ほんとに終わっていただきたい。

終わればいいなあ、と思いつつhttp://monile7777.seesaa.netへとリターンズ。

親父に会いに

ものすごく早起きするつもりで寝たのだが、「hey hey hey good morning let's go!」は鳴ってたんだけどもそれから30分ほど寝てたみたいである。起きたら6:15だった。

いやーそれでも快挙には違いない。三番目ぐらいには早い新幹線には乗った。

山陽新幹線、車内販売のおねえさんの質、急上昇だなあ。いらんもん買ってまうおとーさん続出ちゃうかな。

博多には9時台の早めに到着。で、博多一番街へ向かう。ここの朝メシの充実度っておそらく「日本一」ではないかな。うん、きっとそうだな、と断言してしまう。新幹線の中でコーヒーとサンドイッチを食ったのだが、ここはもう一丁イっとくべきだよねえ。

どの店も「朝食」を競っている。内容と低価格を競っている。一般的な朝食が多いけれど「石焼ピビンバ朝食460円」とかもある。20人ほど並んでいる店の朝めしは「牛タン朝食420円」だった。なんかすごいなあ。日曜だからみなさんわざわざ食いにきてるのね。おれは並ぶのはいやだし電車の時間もあるから「一般的な朝めし」にしました。エクストラに明太子を付けて560円の雑穀朝めし。もう腹一杯である。

九州は17℃にまで上がると言われていたから軽装で来た。軽装で正解。九州の西端の長崎もまた暖かい。

たいていの公共の建物は坂の上にある長崎の街。大学病院もまたしかり。長崎で大学病院と言えば「長大病院」のことでおれも以前には20日ほど入院した。訪れるのはそれ以来。懐かしいというかなんというか。「麓」までは「Uncle Harrison」に何度も来てるんだけどね。

ナースステーションで部屋番号を聞き、看護師のねえさんが案内してくれる。親父は寝ていた。一週間前にはやっと薄目を開けた、だったのだが、おれが声を掛けると大きく目を開けた。びっくりしたような顔をしてるが、びっくりしたのはこっちやで。看護師に言わせると「回復」しているらしい。S字結腸も肝臓も、ガンはきれいに除去されていて、問題はその二つの手術の間に発症した脳梗塞により手足には残らなかったものの言葉と嚥下に障害が残ってしまってること。肺炎も治ってるという。

と、なると今後は「リハビリ」ということになりそうなんだね。妹はリハビリの病院をあたっているという。看護師のねえさんにも、肺炎のときは正直ヤバ、って思ったのよ、と言ったら、そこからずいぶん良くなったと言う。妹たちも市内にいるわけではないから先週来、情報が滞っていた。そこらへん、O型Rh+ゴキブリ系、さすがだなあ。無意識の中での「生への執着」ということ。そこ、無意識、にできるとこがほんと動物的というか、いやここ素直に「感嘆」してるわけである。自分には無理だなあ、ということも含めての感嘆。

そのうちに妹、甥っ子、姪っ子が来て、姪っ子と妹から幼児扱いされてる親父を見て「なんかこのおっさん、幸せやな」など思う。「グー・チョキ・パー」がよくできました、と褒められていた。

「また三月の春季の狭間に来るわ」と告げて病院をあとにする。4時間ほどいることが出来た。すこし安心した。

さて、帰ろう。予定よりすこし早い特急かもめの指定を取る。ついでに新幹線も指定も。しかし、あの朝食以来何も食ってなかった。しかし時間が中途パンツ。で、浦上駅の横に変な店があったので入ってすこし飲む。いやーここ面白かった。大阪の友人たちを連れて行くならここやな、というほど面白かった。後ろ髪引かれつつ、時間切れでかもめの人となる。博多はもうこの時間は駅弁がもうないから、「小物」をようけ買ってワインとウィスキーを買ってひかりに乗り込む。さて。

しかし、そこにはおれの「天敵」がいた。包囲された。ひかりはもうE席がいっぱいで、窓際はA席しか空いていず、3人掛けの奥に座って「よーしワインから…」と思ったその時だった。黄色い声が急接近してきて、それは若い母親とちびムスメ3人組だった。天敵=こども、+母親。それが隣2席と後ろ2席を占めてる。もう最悪の奇跡的な組み合わせに包囲されちゃったのね。これで2時間半か〜。ワインあとウィスキーやろ、ポテトサラダとかも小物の中には入ってる。もう最低、が見えた。で、英断。「ここ座っていいよ」と言い残し、その場を去り、最終の自由席に並ぶことにする。

無事、みずほの2人掛けの窓際に座れ、プチひとり宴会終えれた。うー、あのままひかりに乗ってたらと思うと「ぞっと」するぜ。結果、反社会的人間化の恐れがあったもんね。















一安心

奈良の某高校の数理学科を受験する子の「特色問題」というのを教えに行ってた。

いろいろprivateでハート痛むこと多し・な時期だったが「多重人格的人生」の大事なひとつだった。

五位堂という近鉄の近大とか教育大とかの路線のまだ先だった。クルマでなら馴染みもないこともない香芝インターの香芝市役所のある下田駅のもひとつ先。

その学科は高校から何かに特化する、といったポリシーの学校で、今はその是非を考えることは置いといて、おれはまあなんというか「合格請負人」だから、いろんなものに対応しないといけないのね。一昨年は阪大人間科学部を受ける女子高生の主に数学。去年は英検準一級の女子大生、で今年は前述の中3男子。

だいたい、もうちょっと早くに言ってくれたらいいのに、という時間帯に電話かかってくる。今回も2.21が試験だったのに顔合わせは年末の29日だった。その学校のその学科は英数理と試験があってplusその理科の「特色問題」というのがある。過去問て大事何だけど、ネットでも過去2年間分しか手に入らず、しかもそれ、去年と一昨年の傾向が「まるで違う」のね。明らかに出題する側の「迷い」が見えるわけで、そんなのどう対処すんのさ?だった。

しかしそこはさ、なんとかしましたよ。どうしたかは言ってもしょうがないと思うから、各分野の中学生としての論理性に主眼をおいたお勉強をしてた、ぐらいにしておこうと思う。

で、本日、連絡があり、見事合格。良かったね、というだけの話。

でも正直、高瀬の一件で打ちひしがれてたハートを鼓舞して、だってそんなこと彼も、おれを駅まで毎回送迎してくれたおかーちゃんも、知らないし、知る必要もないからね。最終盤でおやじの病気のことは、もし万が一のことがあれば行けなくなるから言ったけど、無事教え終えた。

ただ、地べたで「おっちん指導」だったから、今の腰痛はそれに由来するかも知らんが。いてーよ。

「たかが高校入試よん」とは最初から最後まで、本日もまた言っておいたけどね。

しかし、もうアレですね。富裕層しかお勉強、なかなかできないね。おれを呼ぶのも高すぎる。値段は「教育産業口入れ屋」がセッティングするからね。なんだかミドルな人たちでも気の毒である。おれにはその半分ぐらいしか来ないが、このピンハネ野郎め!2時間で2本って負担よね。さすがに。

ほんとチョクで言ってくれたらねえ。しかし、日本のシステムがまさにブローカー全盛なのよね。人材派遣がこんなに多い国は他にないのだ。なんか、おっきな会社だと信用するのね。権威主義の最たるものだが、実情はバスの運転手とかわらない。

現場の「スキル」がその危うさを支えてるんだよ。

またまたちょっとしたカリズマ付着したけど、そんな問題ではないのね。

まあ、毎回、鶴橋で串焼肉三昧のおれもそないえらそうなことも言えんけどさ。

しかしね、もうこっちは「絶対」合格させる以外にないねん。このプレッシャー、意外におっきいんだから。
















コートにももう飽きた

2月いっぱいはこっちかな、と思う。キリのいいところ。

忌むべきこの2ヶ月、それを「別もの」扱い、もよかろうと思う。もういっこ残っとるがね、身内が。

奇しくも、奇しくもだが「変容」の時間帯なのだろう。なにからなにへ?

うん、それはおいおいわかる。

純ちゃんが病気になったのが2014の初夏ぐらい。そこから「地下」ではいろんな不可逆な変化が起こってたんだね。表面化は未だせず。

それがちょっと(かなり?)大げさに噴出してしまったというのがこの半年、そう理解しかけてる。

実際、おれも、店長も今「変わりどき」だし。変わることを余儀なくされている。which means トドムンドも変わる・必然的に、と、こうなるよね。

この三月からまずおれの生活も変わる。四月からはもっと変わる。家空けることが増える。P&Gを辞めてからおよそ20年間、仕事は「家」でするものだった。その家を売って中津に越してきたのが七年前。オンナたちからも距離を置き(置かれ・だはは)しかしまた、別のオンナたちとの微温的な関係もでき、ツレも・というか知り合いも微増し、フットワークは軽くなり、電車にも乗れるようになり、まあ遅すぎた一般化・とも言えるような「変化」がそこにはあった、と今は思う。そこがなにかしら「過渡期」とも言えるとするなら、本格的変容はここから、なんじゃないかとやや確信に近いものを感じてる。

一回頭打つ。ここ、割とすんなり生きてきすぎたおれには良いことだったよね。その分、いろいろ「まとまって」来やがったが。もうそろそろそのTENSEにも耐性が出来つつある。もうむやみに友人を失うのはゴメンだが、それでも失う可能性もまた織り込まれた。

これからは「物理的に」多忙にしようと思ってる。おれの場合、やってることの性質上、どうしても関係性は「広くよりも深く」なりがちだが、その深さに広さが付加された三次元的なことになるだろうと感じてる。必然的に忙しくなる。

効率とは無関係のゆったりした時間をこの7年間過ごしてきたと思う。トドムンドの人員も整理され、残るべき人間が残り、身の丈にあった営業になってる。あとはもうあまり「飲めなくなった」店長とどう二人三脚していくか、だけ。

まあやることの内容はそんな変わんないんだけど。今まではいろんな障害があって出来なかったこともおいおいやってく。

ここはなんかファイトわくとこ・といってもいいけど、このウンコまみれの末期資本主義痙攣状態のなか、いかに「ウンコまみれにならず」生きていくかってチャレンジでしょ?

おれはそう思うね。

米大統領選の「すべての候補者」がその批准に「NO」と言うTPPに喜んで入りたい、という政府、そしてISD条項によって国だけでなく地方自治体までがカラカラになるまで搾り取られる状況が目の前に来てること、もう二度と「元には戻らない」放射能の汚染、言論統制、経済的徴兵、そして実際の戦争、これらが現在と極近い将来の「現実」、それがウンコまみれのbreak downだが、そこでウンコまみれにならず生きていくってこれ「相当」難しいことよ。

そのための希望の萌芽のひとつにサンダースちゃんとその支持者がある。以前の所謂左翼とも微妙に違う「反・資本主義」を好意的に見てる。そこにはアタマでっかち・が極小なのね。オノレの生活実感がその根拠になってる・そこ、買いだ。こちらの国の「理念に耽溺するような」学者・学生たちの活動とは根本的に次元が異なるとおれは考えてる。

そこ、力を持ち得るだろうか?こちらの国の話だけど。

ワカモノがオノレの実感から言葉を紡ぎ出している、そこは評価する。しかし、それだけで力を持ち得るだろうか?その理念が「貧困」を包括できれば事は一歩進む。包括し得るだろうか?学者先生、世界的音楽家みんなお金持ちだよ。そこに限界を見てる。

翻って、貧困から物事を考え始めたとした時、先にbreak downしたすべてのissueにリーチできるのが分かるだろうか?

スペインも「podemos」の主張やOWS、そしてEU内のデモに必ず書かれている「アンチ・キャピタリズム」の文字がここでその意味の大きさを伴いながら立ち上がってくると思うのね。podemos=we canね。

おれも変わろうとしてるから、キミらも変われよ。「キミら」って誰?

それは「いろいろさ」と「すっぽんぽん'ズ」で終わる。












Anniversarioだったはずの

本日2.16は高瀬仁のbirthdayのはずだった。

あのバカはjust1ヶ月前にあっち行っちゃった。

今、トドムンドで客もう帰ってしまったから、あおみ店長と2人、架空の誕生日を祝ってだか、何回目かの献杯だかよくわからなくなってるのだが、なんかそんなことをしてきた。

気ぃ遣わすなぁ、きみ。

店長は「ある意味不思議ちゃん」と言っていた。

おれも、お前の年頃特有の「性的欲求」の匂いをきみに嗅いだことなかった、なんてことを喋ってた。

その分、おれのことを面白がってたが。「巨乳好き」な〜んて。

それは「現実」がそうだっただけで「理想」はちがう。しかし、おれは世界を下ネタ・それも品のある(時にないが)で解析する人間だから、そこはまあチミもよろこんでバカ笑いしてたじゃないの。東京であんまりアタマのいいやつにであわなかったんだね。それはよくわかってた。

音楽というか、音階が「?」なキミにコードを教える際のあの画期的な「クリト○ス7」や「ア○ル5」そして○○○のクリト○ス。これ、今後も「アリ」だと思ってる。いやー、画期的。

なんか、そういうことをとりあえず封印してるし、おそらくこれからも封印せざるを得んだろうな、がやや寂しい。

あの日からちょうど1ヶ月。まだ、仏教の教えによれば「べつのもの」にはなってない。まだ「エネルギー」としてこの辺にいるの?あるいは何か次の出動前の「控え室」みたいなとこで待機?そこに純ちゃんはおらんかな?

「じぶん、かなり間抜けたことしたな」なんて周りからはいわれてないかー?

人の死とは「非日常」のはずが最近おれらは超日常だからさ、おれのアタマもやや狂い気味よ。きみがもういないが、おれはまだいるってのもなんかようわからんが酔っ払ってるからさ、不思議な気分よ。

まあ、なんていうかさ、架空の誕生日を超身内でエアーおめでとうしてました、ということなのよ。








食い物について

パンを焼く。強力粉とふすま、それにおからパウダーをmixして焼くとあまり膨らまないハードトーストが焼ける。チーズに合う。

ローストビーフを作る。卵焼き器だけしか使わない。お手軽なのがいいの。アルミホイルの断熱を利用すれば簡単。その代わりソース作りは丁寧に。ワインやらバルサミコやら。マスタードもいいがこのソースはワサビがいいね。チューブのやつで十分ね。

イタリア式スープを作る。かつて新地のgigiで教わった。ミネストローネともちょっと違う。ある野菜をなんでも入れる。でもセロリは要るな。米か雑穀、少量のパスタを折って入れる。あとは味を整えて煮込む。かーんたん。

簡単料理が好きである。

究極の簡単料理、タジンを使ったもの。タンドリ風の味付けの鶏(!)を焼いた後、適当に冷凍庫にある魚介、玉ねぎ、かぼちゃ、やまいも、パプリカ、キノコ類なんでも入れる。クミンとコリアンダーにワインとトマトソースで煮込むだけ。パセリも大量に散りばめる。カップヌードルは3分だがこちらは15分。まあそのあいだにパンを焼いておく。ワインを飲みつつ待つ。

煮物もよく作る。所謂お煮しめ。老人食ね。練りものに厚揚げに葉っぱ。根菜は小芋かな。それに西京焼きなどあれば、酒〜焼酎へと移行しトドムンド出勤が遅れる。

最近カレーを作らなくなった。あちこちで刺激的なスパイスカレーをみなさんお作りになってて、じゃあそれでいいか、なんて思うから。おれも一時期凝ったことがあったが、ほら、「簡単」が好きだから、止めた。こだわるのだが突然飽きるのね。コツコツとかいう擬態語、あんまり自分の性格のなかにはないの、知ってる。

まあ基本作ったものは「おすそ分け」している。8割があおみ店長だが。

基本、食べ物は「簡単」がいいと思ってる。

ヅケもよく作る。ヅケとアボカドのミルフィユ。最強ね。これで赤、最高ね。アボカドは焼いてもうまい。チーズとも相性いい。豆腐とも。

牡蠣の季節ももそろそろ終わり。今年も鍋にタジンにパスタに、とよく食べた。牡蠣と水菜のパスタ、好きね。

もう、菜の花出てますね。いいパンチェッタが手に入ったらここでもまたパスタね。まさしく春の味。蛤同様。春のイニシエーションというか。鰆のグリルのバジルソースとか。筍のチーズ・ペッパー焼きとか。

オノレのannversarioが近付いてくると毎年、そんなことを改めて思う。今年は閏年ゆえ啓蟄は1日ずれるはず。

世の中は「レ・ミゼラブル」ではある。うん、だからこそ、オノレの食卓ぐらいはオノレの「思い通り」にそう肩肘張らずにやりたいものだ、と日々考える。カラダに悪いと思われるものでも美味けりゃいいの。

平均寿命80超のこちらの国で、相対的に若い年齢で亡くなる方も多いが、これからaverageは間違いなく下がると思われるが、友人が間引きされる、そんな社会の中、それでもなんか食ってかなきゃいけないとするなら、オノレの意思でオノレの好きなものをオノレの好きなように食い続けることが、どんな運命が待ってるのか知らんしもうあまり興味もないのだが、それは「消極的」ながら、自分ならではの生きる意志かな、など思う。

死ぬまで、毎食とは言わんが、オノレの料理を食い続けたい。















Like Life during the War Time

過去のイラク、もっと遡れば旧ユーゴスラビア、今ならシリア、戦場である。人が、身内・知人関係なくどんどん死んでいく。非現実が現実になる。人は抱え込めるストレスの量って決まってると思うのね。だから、ある臨界を超えたなら、そこからはただただ溢れていくに任せる、そうするんじゃないかな。

また、1人懇意にしていた先輩が亡くなったとキングちゃんからtel。

おれの周りは「戦場」だったの?カナリアゆえ?

北林追悼にも出ていただいた。あの現場に(1.23  '16)居合わせた人間の2人がもうこの世にいない。哀しいを通り越してmysteriousでさえある。恐怖映画的とも言えよう。

涙も枯れる、というものだ。先の風呂のお湯理論で正しい。

まだ相手がいないだけ、悲しみは憎悪に変換はされないが。ポロポロ人が亡くなるというより「ポ⇨ボ」とした方が事態を言い得てる。

カナリアの周囲は先駆的。年回りもあると思うが、ちょっと大変な年になってきてると恐れ慄く。覚悟はしていたつもりだがやはりよく知った人の死はこたえる。何人続いたとしてもひとつひとつが「重たい」からね。

そう思うと、高瀬のは「ホンマ、余計」だが。なんでもかんでも「参加」せんでもええっちゅうねん。


親父は家族の呼びかけに反応して薄眼を開けた、という。もうぜひ一度「生還」していただきその「臨死体験」を聴きたい。


松さん「安らかに」







身動き取れずに

父親が今最晩年を迎えつつあって、二度の大手術の間に脳梗塞を併発し、二度目の肝臓がんの手術後、誤嚥性肺炎を起こし、正直もうダメかと思い、サムソナイトに黒のスーツを入れたのだが、その後最悪の状態は脱したものの意識は戻らず、ただ手を握ると微かに握り返す、そんな状態だと妹から写真と動画が送られてくる。
毎朝、起きるのが遅いおれは、起きてスマホのボタンを押すのがやや戦慄で、まあ早い話、ドキドキするのだが、ある日は「手術成功」かと思えば一転して「血圧が下がって危険な状態、透析も始まった」「今日から一般病棟です」「またicu」など、離れていればこそのもどかしさの中で今生活してる。

まあ、生活してる、などと言ったが、彼もまたそのような状況で「生活」してるわけで、さらに母親、妹、甥っ子、姪っ子ももっとリアルにそして同様に。

父親は、今年甥っ子が入学することになった医大に入院していてこれも因果であると思うが、シーボルトの流れをくむこの医大にはおれも大学時代に入院したことがある。初めての、強烈な自然気胸だった。その時は肺が1/3ぐらいになってたからひと月ほど入院した。イアフォンでRockを聴いて過ごしてた。なかなか「漏れた空気」を肺が吸収してくれず入院が長引いた。砂を背負ったような背中がひきつるような痛みと呼吸が苦しいのと寝返り打てば漏れた空気の移動がまるで内臓が動いてるような気持ち悪さの中、それでもバカだから見舞いに来てくれた女子にトイレでフェラチオしてもらったり、肺の病気なのにタバコ吸って看護婦さんに怒られたりもうほんと「死んでしまえ!」な患者だったと思われるが、そのバチが当たったか、もう物理的に空気を抜かないことには肺気腫になると言われ、背中にぶっとい注射器を刺すことになり、しかしその麻酔の注射によって「ふーっとなり」脈拍が落ち「ちょっと寝てなさい」ということになり、暫くしてそこからは回復した頃に注射器!になったのだが、そこでは麻酔切れかけていて「いてえよ、せんせー」というものの許してもらえず、空気を抜かれ最後には血が混じり、その血をみてまた「フーッとなった」わけだった。


アホなことでも言ってないと、、、。

受験と期末テストでなかなか都合がつかない。ビンボー人は親の死に目にも会えない、新自由主義の世の中だったりする。ということもあるが、「現場」での三世代による完成度のある意味、高さが、自分の「外様感」を思い知らされるかな。そこでは「パパ」ではなく「じいちゃん」であるし。呼称って象徴的ではある。

何度も別れかけ、実際に家をでたこともあるお袋がもっとも悲しんでいる。文句をさんざん聞かされたおれは一体「なんやったんでしょう?」

今は「最も忌むべきバカ息子numero1」である。世の中って「理不尽」。








青臭い、はいい

サイモン&ガーファンクルの「アメリカ」がサンダースちゃんのcampaign songになったという。

なんちゃらなんちゃらlook for America。1971の作品。60sからしたら、やや失速の70sの始まった頃。今思えばSo much leftではあったが。当時としては失意の始まりの時間帯。サンダースちゃんは74ー45=29歳ということになる。

S&G、たまにトドムンドでもかける。おれには映画「卒業」の甘酸っぱさがやはり支配的だが、その中で使われたもう映画自体と不可分な「サウンド オヴ サイレンス、スカボローフェア、ミセス ロビンソン」以外にも佳作が多い。この「アメリカ」や「ボクサー」「アイ アム ア ロック」なんてのも。

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サウンドも秀逸、今聴くと余計に。当時のROCKの音作りとは一線を画すんだね。アコースティック・Gとパーカッションのアレンジがね。

たまに聴くとその「楽曲の完成度・素晴らしさ」にホロリと、そういうこと多い。「Wrecking Crew」の皆様、ほんとにGREAT!

サンダースちゃん、あのおじいさんで過激なとこ、いいね。いや、もうそこしかないですよ。日本にサンダースは出現しないが、それでも「理想を掲げ、それに人がついてくる」それこそがすでに理想なのであって
「何を青臭いことを、、」とこちらの国では鼻にもかけられんだろうが、しかしそこは「腐らないPART of アメリカ」。腐ってるとこもありすぎるが、腐らないとこもちゃんとあるアメリカ。腐らないとこが「封印」されるこちらの国とは違ってね。だだっ広いって才能だね。であるからSt.Vincentちゃんみたいなのも出てくるわけで。オリヴァー・ストーンにピート・カズニック、マイケル・ムーア。批判も存在てきてる。

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おじいさんで青臭い、ここサンダースちゃんの最高!なとこである。

バーニー・サンダースの中に「Neil Young」を見る。おれの15コ上の、Rock第一世代、そこはそんなにGREEDYではないんだよね。その悪徳はこちらでいうなら「団塊」generationのなかにある。そこからおれの世代までも多いと思う。その後はもう「倫理観欠如」しちゃってるので、というかベースになる教養を共有できてないからね。会話を成り立たせること自体難しい。話はするよ。するけどね。ひどく疲れる。

自民党のバカ弁護士のバカ発言、呆れるが、「アメリカのダイナミズム」というとこだけはまあホントですね。おとーちゃんはケニア(非奴隷供給国)、おかーちゃんは白人だから全然的外れ。

一連のあのバカたちを食わせるために税金を納めてるとなると非常にむかつくがね。

今、アレね。犯罪やスキャンダルは失政を「薄める」ために「用意」され、恣意的に小出し・連続出しされるようになったね。今現在は「連続出し」の時間帯。

「かなり」ヤバい、ってことですね。相場・大負けにnegative 金利。ちょっとした経済の好循環の「気配」が唯一の拠り所だったのにね。アタマ・もんのすごい悪いのも気付かれたね。あのブスの顔面の崩壊もほとんど妖怪レヴェルだね。真夜中に出会いたくないなあ。怖すぎる。











Gフロントを通って

おれにとってグランフロントって「路」である。通路。
たてにバカでかい建物を「よこ」にしか今んとこ使ってないが、ま、その程度のモノかな。

三次元の街・中津のガードくぐって階段登ってR176の側道歩いてまた階段降りると済生会。そこからグランフロントを突っ切って環状線に乗るのが最近の通勤その1。

昨日は大阪駅がなにかしらざわついていて、それは環状線が止まっていたからなのだが、だから急遽東梅田まで歩くことになった。ま、そんなことはどうでもいい。環状線の止まった理由は人身事故とのことだった。

玉造上空32Fでおれを待っていた息子も母も下界で起こってることは知らなかった。聞こえてこないのね。

仕事終えてその頃には環状線、間引きながら動いていた。デリケートな発着管理がもうズタズタで、超徐行だったから玉造〜大阪間30分ほどかかっただろうか、しかも間引きゆえ超満員。

その時に「読んだ」ひとびとの気持ち:

* 飛び込んだ方に対する、以前よくあったような、オノレのスケジュールがどうこうみたいなメーワクかけられた、とかの感情は極小。

* そのことに敢えて触れないことで、そのことはなかったかのように振舞うことが唯一できること。

* オノレもまた「崩れそう」なのをどこかで踏ん張ってる。


そんなことかな。BIASかかってるかもしれんが。

HARSHな世の必然とも言える。JRの駅は吹きっさらしでそれが、おれが感じるセンティミエントの一因だな。

何かに、みなさん、じっと耐えてる感が充満していた。これはいずれ暴発するね。理性で抑えられる臨界もうすぐ達する。

倫理観も論理的整合もない政治に対する怒りはとうの昔に置いてきて今は「無力感」でいっぱい。家に帰れば政府広報・大本営のメディアのシャワーだしね。閉塞してる、本格的に。だから「暴発」します。もうすぐ。

オリンピック、無理なんじゃないの?

日本人は隠に籠るとこあるから、オノレが「小さいながら権力を持った場」が危ない。おじいさん・おばあさん、投げ殺したあのバカとか。そこTYPICAL。

2016はここまでもう最悪で、こんなことじゃ一年間生きていく自信もなくなってくる。まだ2カ月弱である。一体どうなんのよ。

大阪駅からまたグランフロントを逆に歩いてインターコンチ辺りからタバコを巻き出す。出ると同時に火を点ける。日本庭園は禁煙だが、誰も文句言うヤツはいない。暖かくなったらここで外メシもいいかな。

そしてまた登って歩いて降れば、都心のとなりの「Dirty Old Town」がそこにある。落ち着くといえば落ち着く。












エイモス・ギャレット in 豊津


なんと、おれの最大の「ギター・師匠」Amos Garretteが25年間住んでた豊津に!来たわけですよ。それも、そのvenueというのがね、パラボラやカウボーイズを録音した旧スタジオ アンツだったからおれの身内はびっくらこきましたのよ。
これは書かせろ〜と溝さんを脅迫して書いた。

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「美は先っちょに宿るのだ」



「神様が酔っぱらう」さまってどんなんだろ、とは誰しも想像できそうで実際ムヅかしい。神様であるから「全能」であるのだけど、酔っぱらうとたとえ神様であってもどこか「タガ」が外れる。ではそのような状態の神様が綱渡りをするとどうなるか? もちろん神様だからバランス棒なんて持たないのよ。足首はよじれ、腰もカクカクして上半身には芯がなく、前後左右に重力のままうに〜っと関節はずれるほど曲がり、しまいには誰もが「落ちる!!!」と目を覆った瞬間一回りして「ピース」。あのね・神様、スリルありすぎよ・それ。
エイモス・ギャレットのギターである。
ギタリストは左指にタコができる。「美は先っちょに宿る」のだ。その・かった〜いタコに聴く者の感情を翻弄する全能が詰まっている。そのタコの・時には大胆すぎ時には超繊細な動きによっておれたちも宙に浮いて足をバタバタさせたり、地面に叩き付けられたり、口半開きでだらしなく笑ったり、心に熱をもったり、あっちいって帰ってきたり、悲しくもないのに涙が出たりする。もうタコたちにやられっぱなしなのだ。エイモスのギターダコは「神のタコ」である。
Wその「酔っぱらった神様=エイモス・ギャレット」がやってくる。京都は磔磔だが大阪は我が街「豊津」に!!!「なんで豊津なの?」とエイモスと豊津両方を知る人間(そんなにいないけど)は100%の確率で言う。「わかんない」わかんないけども来るもんは来るわけよ。「なんで?」なのだが、しかし、そんな幸運に出くわした場合は「神に祝福されている」と解釈し、これまでの善行の数々を思い出しにやにやしておこう。予想もしなかった場にひょっこりやってくる神様の指先に身を委ねて。

グレイト・スペックルド・バードに始まり、ハングリィ・チャック、在ウッド・ストック「スーパー・バンド」ペター・デイズ、マリア・マルダーのバックでの数々の名演、ジェフ・マルダー、ダグ・ザームとの共演・来日等、スタジオでも生でもエイモス・ギャレットのギターからは必ずや驚きが生まれた。さらに今回「超低音の魅力」な歌もたくさん聴ける。このツアーは全国17の小さめのクラブを回るわけだからあの指先の「魔法」を至近距離で見ることができる。あのダブル(トリプル)ベンディングやスライド・ギターを思わせる、重力を消すフレーズで宙に浮きたい。


バート・バカラックの記事(書き足りない)


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この記事は今は亡きmeets編集部の溝口さんから急遽「空きが出たからマルタニさん埋めて」と頼まれた。よくそういう風に便利屋的に使われてた。使っていただいていいんだけどね。

このPOP MUSICのGIANTに関してはいろんな方がいろんなことを言いつくしたような気がしてたけど、コステロを持ってきたところが今思えば新味やった、かな。今はバカラック/ハル デイヴィッド、数曲歌ってるからまた違うことが書けそうです。いずれまた。

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何処にもない理想的な都会


エルヴィス・コステロがデヴュー当初の「スティッフ・ツアー」で「バート・バカラック=ハル・ディヴィッドの曲」とだけ云い「ジャスドンノウワットゥドゥウィズマセウフ」と歌いだしたことがあった。なんとオジン臭いことをするのだ・と思った。30年も前の話である。パンクまみれのバカ頭だったからしょうがないのだが、そんな歌を「怒ってる」コステロが歌うのかよ・となんとナイーヴなことよ、しかしそう思った。
時は流れ、若気の至り、パンクは形骸化の極み、とっととおさらばして世界音楽へ。ラテンやアラブにのめり込んでいった頃、ふと立ち上がってくる抜けてるのか抜けてないのかわからないようなペットの音、転調や多様なコード感、華麗・だけとも言い切れないアレンジのオーケストレーションそしてサリゲな変拍子。バート・バカラックを「再発見」した瞬間なのだが、ロックから世界が広がっていった人間なら身に覚えあるんじゃない?そう正直に言う事が誠実だと思う。えっ、「俺は70'sから好きだったぞ」って? 大変おみそれしました。
「歴史に洗い流されない音楽」。美しい口ずさめるメロディーの奥に前述の仕掛けが散りばめられた名曲の数々は彼が精魂込めてマインド&ハートで書いたことが伺える。
バカラックの曲にはその背後に「理想的な都会」が見える。甘酸っぱくロマンティックな都会をバカラックの曲は切り取ってプレゼントしてくれるのだが、その理想的な都会は曲が終わると消えてしまう。それがいいのね。

2005 caetano veloso来日時の記事

「カエターノがやってくる」


 大阪は花博以来の公演となるカエターノ・ヴェローゾ。還暦過ぎのこのカエターノこそ、現代の世界最重要ミュージシャンである。5/15(日)、特別な日になることだろう。
 音楽の宝庫ブラジル、その中でも優秀な音楽家を輩出するノルデスチ(北東部)出身の彼の一度目のピークは60's終盤。盟友ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、実妹マリア・ベターニャ、トン・ゼー、ムタンチスらとともに始めた「トロピカリズモ」(軍事政権下のブラジルにおける世界各国のカウンター・カルチュア・ムーヴメントとシンクロしたブラジルのサイケデリアとでも云おうか、ただしアメリカ文化帝国主義への反撃というベクトルも同時に持ち合わせた。そしてそれが原因で逮捕・国外追放)。その後、亡命先のイギリス滞在後、帰国。その後、コンスタントに「心に沁みる」アルバムを発表するが、なんといっても「現代の世界最重要ミュージシャン」の根拠となるキャリアは87年の「カエターノ(邦題フェラフェリーダ)」に端を発する。そこからというもの、カエターノは自らのメディウム(媒体)性に確信を持ったかのようにアメリカ・カリブ・他のラテンアメリカ・アフリカを内部に取り込み「他の誰もやっていない音楽(ジャキス・モレレンバウン談)」を創り続ける。ディヴィッド・バーンやアルト・リンゼイはまるで横綱の土俵入りの際の太刀持ちと露払いであったかのようだ。「ジョアン・ジルベルトからその音楽的完成度と美意識を受け継ぎながら(カオリーニョ藤原談)」VAMO COMER(さあ、食べよう!!!)とばかりに、これ以上あり得ないバイーアという音楽環境をベースにしながら他者との出合いの中で製作されたハイパー・クオリティなアルバムは89年の「エストランジェイロ」から04年の「アメリカン・ソングス」までに15枚を超える。女子ならこれらのアルバムを「嫁入り道具」の中に入れることを強く強く奨めたい。
 この流れの中では70年代のカエターノが霞んでしまうかもしれないが、決してそうではない。ライヴの中盤で今回もきっとあるカエターノひとりの場面でまるで短編映画のようなひとつひとつの楽曲や歌の美しさに心打たれ、独特のカエターノのコブシに翻弄され、さらにはその背景にジョアンだけではなくピシンギーニャやルイズ・ゴンザーガをも見ることができるだろう。
 彼の目はミクロとマクロを、過去と未来を、ブラジルの田舎=バイーアと都市=リオを、世界の田舎=ブラジルと都市=NYを同時にとらえる。彼は男でもあり女でもあり、少年でもあり、歳相応以上に老成した大人でも、そして単に初老の素敵な男でもある。彼のパフォーマーとしてのピークは信じられないことに正に今・現在である。ステージで是非それを確認して欲しい。大御所で最先端。プラジルにはCAETANEAR(カエターノする)というポルトガル語の動詞が存在する。
 カエターノ・ヴェローゾという人は「音楽でものを考えるタイプの音楽家の最高形態」であり、過去と現在、未来、こことそこ、あそこを見つめ、時間の経過と共にどこまでも大きく拡がるその振幅の中で自らとその言葉・音楽の全体性を常に求め、常に手に入れることのできる
大天才であるが、しかし崇拝の対象として神棚に飾るよりも彼とその音楽を愛してしまうことの方がより素敵なことだ。
 彼の音楽は云わば、フェリーニの映画である。

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It' s since the flower EXPO that Caetano Veloso makes a performance . Only this Caetano of the 61st birthday passing is the most important musician in the world of today. It becomes a special day 5/15 (Sunday).
The peak of the first time of him coming from Nordeste (northeastern) ,which is known as treasure region of music of Brasil , where one especially excellent musician after another appears , was in the last stage of 60's. "Tropicalismo" started with sworn friend Gilberto Jill, Gal Costa, real younger sister Maria Betarnha, ton Ze, and Mutantes(However, it was said psychedelia in Brazil that did counter Culture Movement and the synchronized of every country in the world in Brazil under the military regime or had the vector of counteroffensive to American cultural imperialism at the same time. And, it arrests because of it and it exiles it. )。Homecoming after stay in Britain of defection destination afterwards. Afterwards, the career that becomes grounds of "Most important musician in the world of today" after all originates the edge in "Caetano ( Fera felida)" of '87 after "..mind.. is seen" albums were constantly released. Caetano from there has kept creating "the music no one else has made (Jaquis Morerembaum story) " ,which impressed that he was sure of making himself 'a medium' existing in between pop & other American Caribbean , Latin America and Afro-Brasil . Divid Byrne and alto Lindsay were like the sword bearers at grand champion sumo wrestler's parade of wrestlers in the ring and herald. In the chance meeting with others and musically based on Baia(nowhere better), the produced hyper quality albums exceed 15 from "Estrangeiro" of '89 to "American Songs" of '04 with the truth that "The musical perfection and the sense of beauty are succeeded from Joao Gilberto (Kaorinho Fujiwara story)and singing" VAMO COMER (Now I will eat). If you're a girl, I want to recommend these albums to be put in "Trousseau" strongly and strongly. It is not so at all though Caetano in 70's might be misted in this flow. Live..middle..this time..surely..one..scene..as if..short film..one by one..music..song..beautiful..drip..peculiar..play at..furthermore..the..background..Joan..Gonzaga..Pixnguinha...Caymmi...see.
His eyes catch micro and the macro, in the past and the future, and country = Baia and city = Rio de Janeiro in Brazil and city = NY with country = Brazil is caught at the same time in the world. He is a man, a woman, too and is a boy, too and even he is an adult who did old and it is wonderful middle aged man . The peak as his performer is precisely right now and present in unbelievable. I want you to confirm it by all means in the stage. He is a leading figure and is state-of-the-art. The verb of Portuguese named CAETANEAR (Caetano it) exists in Brasil. The person named Caetano Veloso is "Highest form of the musician of the type to think about the one by music", and he will watch here, there, and there in the future now in the past, and though he is Genius of the word and music in the amplitude to which it greatly extends with the passage of time even where that can always request the whole, and obtain it at any time, however, it is more wonderful to love his music with himself more than to decorate as an object of veneration on the household Shinto altar. His music is ..saying.., and Fellini's movie.

今日は中津Todo O Mundo周年です

かつて交友があって、ただ今環境が変わって連絡が疎となった方々から、「高瀬になにかあった?」と問い合わせがあったりする。

もうそろそろ20日。

残された者の使命とは言え、なんか、ね。


高瀬ママは、加害者にも会いに行くと言ってた。なかなかできないことじゃないか、と思う。

おれの、おれだけじゃないと思うが、心の中にポッカリ空いてしまってる高瀬サイズのまあでっかい穴がなかなか埋まる気配がいまんとこなく、親父の顔も生きてるうちに見に帰らねばならないのだけど、ちょっとオノレが壊れてしまいそうで怖い。チケットは用意したが。

なかなか新大阪まで行く気になれない。

ダメージだ。わかりやすく。


昨日、今日と周年。店長も無事戻って、昨日はまあいつものトドムンドではあった。本日もカルく、騒げればいいと思う。しかし、髭はそこにはおらん。その存在の不在に慣れるにはちょっとなかなか大変だぞ、やっぱり。そう、おれは感じてる。

しかし周年は執り行わなければならない。そんな大層でなくていいのだ、今回は。

まあ、みなさんちらっと顔だしてワイン飲んで帰って。